mado

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恐ろしいほど思考が整わない。こんなんじゃ卒論も書けないし、他のやりたいことにも頭が回らない。ほんとに困った。

 

最近#metooというハッシュタグが流行している。(ご存知ない方はお手数ですがask google please.)実は私もこの活動(というか、投稿)に参加できる立場にあるが、どうもその気になれない。このハッシュタグを否定しているのではないし、寧ろ声を上げていく方々全員に(私の友人も悲しい事ながらme tooと言っていた。本当に悲しい。)、心の底からありがとうの気持ちでいっぱいだ。でも、それでも、私はどうしてもme tooと言う事ができない。600人近くになる自分のFBの友達の前で、高校生の時から投稿しているinstagramフォロワーの前で、me tooと言おうとして何度もその5文字を消している。

 

もう7年も前の話だし、大切な人の前ではちゃんと話すこともできるようになった。あの時声を上げていれば、もしかしたら別に同じ目に遭っていた人が悲しい思いをしなくて済んだかもしれない。別にわたしが悪いんじゃない。私は一人じゃないし、味方もたくさんいる。ちゃんとわかっている。何度も自分に言い聞かせているし、もう悲しくもないし、恐れてもいない。でもなぜこの5文字が打てないのだろう、と今日帰りながらずっと考えていた。

 

私の結論はこうだ。今me tooと言ったところで、本人に復讐できるわけでもないし、新たなアホな人の人数を減らすわけでもない。当の本人はきっと悪いことをしたとも思ってないだろうし、する人はする。すごく冷たい言いぐさではあるが、一人の経験者として、正直な気持ちだ。新たに私と同じ思いをする人が増えればいいなんて、これっぽっちも思っていない。本当に、心の底から誰もこんな経験してほしくない。痛いし、悲しい。そして、なんだかんだ記憶に残る。忘れようとしても、強くなろうとしても、記憶はいつまでも追ってくるし、もしかしたらもう一度起こるかもという気持ちはぬぐえない。こうなっている自分に、ああまだ私は弱いなと思わせる理由にもなる。私だって好きでなってるわけじゃない。

 

me tooのハッシュタグは、賛同する。自分が知らなかった友人も同じ経験をしているんだという気持ちが、前を向くきっかけになるかもしれない。自分が悪いんだ、自分は汚れたと思っていた人(昔の私のように)が、あなたは悪くないと言ってもらえるきっかけにもなる。これは、SNSの強みだと思う。

 

ただ、私は今言えない。私がまだ弱いだけなのかもしれないし、臆病なだけかもしれない。でもいまここで、こっそりとなら言える。どこかの誰かには、届くかもしれない。

 

Me too.